住まいづくり・住まい探しの情報ガイド
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CONCEPT学園前の系譜
悠景の邸園。
眼前を染める満開の桜に、心華やぐ春。木々の緑をふるわせる薫風とかすかな波紋を描く水鏡。
悠久の自然が織りなす光景が、都市の喧騒を忘れさせ、残り香のような心のこわばりをほぐしていく。
息づく緑が眩しい夏、散りゆく紅葉に、先人の歌を想う秋。
季節の主役の移り変わりを鮮やかに告げる水と緑の景は、安らぎの中に、此処を生涯の地とした誇りと歓びをよびおこす。
この地と出逢い、想い描いたのは、一期一会の四季を日常に溶かし込む庭園のような街。
古さに埋もれず、新しさに迷わない、未来へ向けた生き方の矜恃を感じさせる邸。
時の積み重ねが育んだ上質と風韻を我がものにし、悠々たる人生を綴る。
美しい風景の中に静かな誇りを湛えて溶け込んでいく「悠景の邸園」をあなたのために。
学園前にあって、揺るぎない存在感を放つ畔がある。
それは、この地を切り拓いたエスタブリッシュメントが愛し、
今、日本の美を伝える美術館として時を刻む風雅な聖域。
これまで人々の垂涎を集めてきたこの地と隣り合う大渕池畔に、
四季に抱かれ、凛とした佇まいを携えた邸宅街区が立ち顕れる。
歳月を重ねた学園前邸宅街の風格、
脈々と受け継がれてきたこの地の作法に敵う居宅としての存在感を纏って。
近畿日本鉄道による郊外住宅地開発は、学園前から始まります。それは、一般に「学園町」と称せられ、東京郊外の国立市や高級住宅地として知られる小田急沿線の成城学園エリア等と同じく、学園の建設を契機に、住宅地として発展したものでした。礎となる旧制帝塚山中学校(現在の帝塚山学園)が開校したのは1941年、翌年には、生徒の登下校時のみ停車する特別駅として「学園前」駅が開設されています。学園前住宅地の開発が始まったのは、1950年から。松林を取り入れ丘陵の地勢を生かした風趣な佇まいの学園町南。学園町北には、都市の利便と郊外の豊かな自然との融合を目指してE.ハワードが提唱した「田園都市(Garden City)」の特徴である放射状に伸びる道路が計画されています。追随するように日本住宅公団や地方公共団体などによって次々に大規模な住宅地開発が行われ発展した学園前。和洋折衷のモダンな邸宅の街並みは、その後、登美ヶ丘へと向かいます。
日本の近代化を顕す語彙に数えられる「郊外居住」。その本質は、何よりも風光と名景、良質な住環境を求めたものでした。近畿日本鉄道創業五十周年記念の銘を冠した登美ヶ丘住宅地。1960年の開発から60余年、鮮やかな緑彩を漣に映す大渕池畔に、広大な区画を携えたお屋敷街が広がります。近鉄グループを率い往時の経済界を牽引した佐伯勇氏。大和文華館の創設、帝塚山学園の理事長就任など、文化・教育事業にも尽力した氏は、自らが開発したこの地に名を刻み晩年を過ごしています。建築家、村野藤吾氏が設計した木造による数寄屋建築の旧宅が佇む庭園内には、松伯美術館が建てられ、日本の美と共に、邸宅地・登美ヶ丘の原点を今に伝えます。大切に守られてきた公園の森と悠久の時の流れを思わせる水面のさざめき。風光に恵まれ、時に磨かれてきた美しき池畔、松伯美術館と向かい合う地に、「パークナードテラス学園前大渕池公園」が歩みを始めます。
※出典:帝塚山学園・松伯美術館・奈良市・西条市 各ホームページ
[奈良市史/地理編](奈良市)